明中 / みんちゅう
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明中、初名は演中、字は大恒、号は嘯崖、別号に烎虚がある。浙江桐鄉の人で、俗姓は施。幼少期に嘉興の楞嚴寺で発心し、後に杭州の聖因寺と凈慈寺を主宰。乾隆帝の南巡時に紫衣を三度賜った。絵画を好み、篆刻にも才能を発揮した。山水画においては、黄公望の緻密さと、倪瓚の疎秀を兼ね備えているとされる。
明中、初名は演中、字は大恒、号は嘯崖、別号に烎虚がある。浙江桐鄉の人で、俗姓は施。幼少期に嘉興の楞嚴寺で発心し、後に杭州の聖因寺と凈慈寺を主宰。乾隆帝の南巡時に紫衣を三度賜った。絵画を好み、篆刻にも才能を発揮した。山水画においては、黄公望の緻密さと、倪瓚の疎秀を兼ね備えているとされる。
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