吳定 / ごてい
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呉昌碩、初名は俊、また俊卿とも名乗り、字は昌碩、号は倉石・蒼石。浙江省孝豊県鄣呉村の出身。清末から民国期にかけて著名な国画家、書法家、篆刻家。「後海派」の代表人物であり、杭州西泠印社の初代社長を務めた。厲良玉、趙之謙とともに「新浙派」の三大代表として知られ、また任伯年、蒲華、虚谷と並び「清末海派四大家」と称される。
呉昌碩、初名は俊、また俊卿とも名乗り、字は昌碩、号は倉石・蒼石。浙江省孝豊県鄣呉村の出身。清末から民国期にかけて著名な国画家、書法家、篆刻家。「後海派」の代表人物であり、杭州西泠印社の初代社長を務めた。厲良玉、趙之謙とともに「新浙派」の三大代表として知られ、また任伯年、蒲華、虚谷と並び「清末海派四大家」と称される。
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