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今井俊満 ( 1928 - 2002 )
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油性合成樹脂塗料、紙 額装 1966年
サイン、制作年。
来歴:関東、個人コレクション
第二次世界大戦後、フランスを中心に興隆した芸術運動が、美術評論家ミシェル・タピエによって推進された。タピエはジャン・フォートリエ、ジャン・デュビュッフェ、ヴォルスらの作品に触発され、彼らの作品が戦時の人間存在への不安を映し出していることを背景に、1951年にニナ・ドセ画廊で《激情の対決―非具象絵画の最前線》展を企画した。その後《アンフォルメルの意義》展を開催し、著書『アン・アール・オートル(もうひとつの芸術)』を刊行して、抒情的で不定形な抽象を「アンフォルメル美術」と定義した。構成主義などの幾何学的抽象が「冷たい抽象」と呼ばれたのに対し、アンフォルメルは感情の激しさから「熱い抽象」と称された。
この運動は当時フランスで流行した実存主義と深く共鳴し、アンリ・ミショー、ジョルジュ・マチュー、ピエール・スーラージュ、ハンス・ハルティング、さらには日本出身の堂本尚郎や今井俊満といった作家を含んでいた。日本では1956年、日本橋高島屋での《世界・今日の美術展》において初めて紹介され、翌年タピエとマチューが来日して一層の広がりを見せた。タピエはメディアを通じて広く普及に努め、マチューは浴衣姿で公開制作を行い注目を集めた。これらの活動は日本に「アンフォルメル旋風」を巻き起こし、とりわけ具体美術協会の作家たちが絵画表現へと向かう契機となった。
今井俊満、日本の京都で生まれる。東京芸術学院で学ぶ。1952年に第15回新制作協会のサロンで新作家賞を受賞し、同年、中世の歴史と哲学を学びにパリへ留学する。1955年に評論家タピエの影響を受け、彼の作品は抽象的なスタイルに変わっていった。1953年にサンパウロ・ビエンナーレに参加し、1956年には帰国して展示会を行い、1960年にはヴェネツィア・ビエンナーレに参加、1962年に現代日本美術展優秀賞受賞を受賞した。1970年以降は日本文化を絵画に取り入れ、後に日本侵略や第二次世界大戦をテーマに創作をした。
主な収蔵先:大原美術館、国立国際美術館、東京国立近代美術館
55.0×35.6cm
(21 ⅝ × 14 in.)
2025/10/23
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