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山崎つる子 ( 1925 - 2019 )
会員限定
アクリル、キャンバス 額装 1982年
裏にサイン、制作年。
来歴:大阪某画廊
展覧会:GUTAIは生きていた(大阪/ICHION CONTEMPORARY)2025年1月-5月
山崎鶴子は、1954年に具体美術協会を創立した女性メンバーの一人であり、1970年代の解散まで活動を続けた。嶋本昭三に続いて最も早く吉原治良に師事し、1955年の第1回具体美術展から1968年の第21回展まで出品を重ね、具体の中心人物となった。
1954年から1957年にかけては、ブリキや鏡を用いた作品を制作し、その反射や光沢の効果を強調した。1957年にフランスの批評家ミシェル・タピエと出会った後は絵画へと移行し、幾何学的形態に漫画的な吹き出しや落書き風の線を組み合わせる独自のスタイルを展開した。あえて調和的な配色を避けることで、要素同士が共存しつつ衝突する構成を生み出し、彼女の一貫した「不可予測性」への探究を体現した。
1972年の吉原治良の急逝と具体の解散後、山崎の創作は新たな段階に入った。1976年にはパチンコやピンボール、動物を題材としたシリーズを発表し、抽象表現からの劇的な転換を示すとともに、「不可予測性」へのこだわりをさらに鮮明にした。
彼女は素材、構成、色彩を通じて「偶発性」「混沌」「自由」を追求し、具体の革新的精神を体現しながらも独自の表現領域を切り開いた。1970年代末から1980年代初頭にかけては、犬や豚、ゴリラ、ライオンといった動物のモチーフを多用し、大衆文化とシュルレアリスムやポップ美学を融合させた具象作品を制作した。
代表作《ライオン》(1982年)はこの時期の成果を象徴する。ライオンの姿は鮮烈な横方向の色帯によって部分的に覆われ、断片化と統合のリズムが多層的に生み出されている。このアプローチは、具体初期の実験精神を継承しつつ、彼女の解放的な自己表現を映し出し、日本前衛美術史における重要な地位を確固たるものとした。
彼女の作品は国内外で高い評価を受けており、芦屋市立美術博物館、金沢21世紀美術館、大阪中之島美術館、ワシントンD.C.のハーシュホーン美術館といった主要機関に収蔵されている。
54.5×48.5cm
(21 ¼ × 19 ⅛ in.)(F10)
2025/10/23
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