1810
会員限定
ガッシュ、黒い紙 額装 1939年
サイン、制作年。
来歴:1.Mme Nina Kandinsky(カンディンスキー夫人)
2.スイス、バイエラー財団
3.東京、フジテレビギャラリー
4.栃木、久保貞次郎
5.東京個人コレクション
(付属資料に基づく)
出版:「カンディンスキーWATERCOLOURSカタログレゾネ Volume 2」P.463、No.1262、Vivian Endicott Barnett、2003年
展覧会:1.Maeght(パリ)1957年
2.ナント、1959年
3.MoMA(ニューヨーク)1969年
4.トロント、1970年
5.ベルン、1971年
6.バーゼル、1972年
7.ニューヨーク1973年
8.Annely Juda Fine Art(ロンドン)1980年/1981年/1983年
9.東京、1986年
10.デュッセルドルフ、1992年
(付属資料に基づく)
ワシリー・カンディンスキーは、ロシア・モスクワに生まれた画家および美術理論家であり、カジミール・マレーヴィチやピエト・モンドリアンとともに、抽象絵画の先駆者の一人とされる。モスクワ大学にて法学および経済学を修めたのち、同大学で教鞭を執るが、1896年に画家を志してミュンヘンへ移住し、本格的に美術を学んだ。1909年には「ミュンヘン新芸術家協会」を設立し、1911年にはフランツ・マルク、パウル・クレー、ガブリエーレ・ミュンターらとともに表現主義運動「青騎士」を結成する。
その作風は生涯を通じて大きく変遷し、初期には表現主義的な具象要素を残しつつも、1910年前後より次第に抒情的抽象へと移行した。1920年代にはバウハウスにて教育に携わる傍ら、円、直線、三角形といった幾何学的形態に基づくより理知的な抽象表現を展開し、色彩と形態の構造的関係を探求した。
1933年にナチ政権によりバウハウスが閉鎖されるとパリへ移住し、1930年代後半、とりわけ1939年前後の作品においては、幾何学的構成に加えて有機的かつ生物的な形態が顕著となる。これらは細胞や微生物、あるいは宇宙的生命体を想起させ、繊細な線や透明な色層の中に浮遊するように描かれ、独自の視覚世界を形成する。バウハウス期の厳格な構成に比して、この時期の線はより流動的かつ表現的となり、形態同士が呼応しながら画面に有機的なリズムをもたらす。柔らかく透過的な色彩の対比は、詩的で想像力に富んだ空間を創出する。
この時期の作品は、幾何学的秩序と有機的生命力が共存する成熟した抽象言語を示すものであり、理性を超えた精神的空間を切り拓くものとして、20世紀抽象美術における重要な達成の一つと位置づけられる。本作は、カンディンスキーの妻の旧蔵を経て各コレクションに伝来し、さらに主要美術館においても展示されてきたとされる。その優れた来歴および展覧会歴により、国際的な美術市場においても高く評価されている。
48.5×36.5cm
(19 ⅛ × 14 ⅜ in.)
2026/04/25
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